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倫理研究フォーラム「デス・スタディー」

6月21日第19回倫理研究フォーラム「デス・スタディー」〜亡き肉親との絆を深め合うために〜が大垣市情報工房で開催されました。
プログラム1は、特別公演「思い出と出会う能」。能楽師 安田登様・能管師 槻宅聡様の能の演舞と解説。能は「霊」と出会う物語を演じ、日本文化の死生観があることを解説していただき、初めて能と接する方がほとんどで感心して見入っておられました。
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プログラム2は鼎談(ていだん)。田中範孝常任理事・前川朋廣理事・那須隆研究員の三人の論者により、「最愛の肉親の死を乗り越えて」の論題で語り合われました。(【】内の論者名敬称略)
【那須】「デス・スタディー」とは、死に直面された方、遺された家族を対象に、人間らしい死を迎えるにはどうあるべきか、身近な人の死に対する悲嘆をどう癒すか、という内容に関する教育をいいます。死に直面した人々に共通する情緒的の変化は、否認と孤独→怒り→取り引き→抑うつ→受容。
それに対して遺族のグリーフ・ワーク(心の再建)には、(1)「祖霊迎拝の倫理」の実践 (2)故人の遺志を引き継ぐ「喜びの働き」 (3)御霊に対する積極的な「感謝」の実践が、大切です。
【田中】現在は暗闇がなくなり、わけの分からないものが、明らかになることによって、失ってしまったことが多い。心の豊かさとか、日本人が本来持っている素晴らしさを忘れ去られている。能は、暗闇の世界をうまく表現しています。
【前川】自分の人生が期待通りに行かないこともある。しかし、避けて通れない死を考えておくことが大切である。老化もそれに伴って、病を患ってくるものです。しかしそれを、純粋倫理の「疾病信号」に当てはまっているのかが疑問で、研究を進めていかなければならない。
【田中】有有無無の原理があるなら、生物が亡くなったから無くなったのではない。形を変えて有であります。何も無いところから生まれることもない。来たところに戻るのが死であって、無くなったのではない。そういう考えが、今生きているだけという考えから生き方が変わるのです。
【前川】肉体がなくなっても、遺された者の心の中に思いが残っていれば、その人はなくなったのではないのであるから、生きてるかごとくに語りかけたりする「祖霊迎拝の倫理」の実践が心を軽くするのです。
【那須】幼くして突然次男を亡くし落ち込んでいた時、「祖霊迎拝の倫理」の実践によって、ある日夢枕に次男が現れ「もう何処にでも行ける。」の言葉に、いつでもそばにいる実感が湧き、抑うつの状態から吹っ切れた喜びの体験レポートもあります。
【田中】目に見えないものは、見えないから無いのではなく、つながっている実感を得た時、忌憚を癒すことができる。『六芸』という基本教育の教えがあります。「礼」─礼節(道徳教育)。「楽」─音楽。「射」─弓術(心身共に鍛える)。「御」─馬を操る。「書」─読み書き。「算」─数学・そろばん。現在は「書」と「算」だけを大切にし、一番大切な「礼」礼節を粗末にしている。亡くなった方をまつる礼節をおろそかにしている。存在しないものにも礼節を尽くすことを忘れ去られているので、社会情勢も悪化して来てしまっています。
【前川】人の多くは、不足不満を思う時、何らかの比較をしています。それが、誤解を招いていることが多い。悲しみの度合いは絶対に比較できないものです。しかし、それをしてしまうことで、相手を傷つけている。相手の立場に立つことはできないことだからこそ、相手の立場に近づこうとする努力が必要です。
【田中】遺された者の生き方は、愛されている人にいつでも何処でも、守られている実感です。それには、自らが前向きに生きていることです。亡き人は、そういうことを願っているものだと思います。人の死は様々ですが、今を大切にして生きることが、立派な死を迎えることができるのです。今の一瞬を大切にする。
【前川】娘がお嫁に行くのも覚悟が必要のように、いつかは別れることの覚悟を決めることです。そのキーワードが、「感謝」で日々のけじめをつけていくことです。毎日を完結させて行く。その言葉が「さようなら」(さようであるならば)で、けじめをつける。美しい「ありがとう」と、美しい「さようなら」にして行きましょう。
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by krinrig | 2009-06-22 10:30 | 地球倫理フォーラム

第17回地球倫理フォーラムin岐阜

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f0032780_14192069.jpg前日からの雨も上がり、快晴に恵まれた3月5日長良川国際会議場に参加者1410名の参加者を迎え満杯の会場に、堀貴子さんの明るい司会進行で開演。
f0032780_14214288.jpgまず最初にこの講演の趣旨を内田主席があいさつの中で、家庭荒廃や犯罪の低年齢化において今こそ教育を考え直す基盤として地球倫理フォーラムを地域と協力して開催し強く推進して行く事を述べる。

f0032780_1424364.jpg鬼頭岐阜県教育長より祝辞を頂き、こういう時代だからこそ、こういう企画をした頂いた事にお礼を述べられました。
f0032780_14262219.jpg続いて、文部科学省生涯学習政策局総括官久保公人様の講演「新しい時代にふさわしい教育のあり方」。教育基本法制定当時と現代とでは環境が大きく変わり、60年前にあって、必要でないもの。60年前になかったもので、今必要なものを書き込んで行き、教育基本法を改正して行きます。だからといってこれを施行されたことによって、すぐに教育がよくなるわけではない。皆様の地域での、地道な活動によって、良く変わって行く事です。自分たちの幼い頃思い出してください。近所のおじさんに叱られた経験、おじいちゃんおばあちゃんが関わった生活。
f0032780_1435150.jpg3世代同居で、誰かが病気すれば不便になり、それに耐える生活を自然に覚える。豊かな時代になって、情報も豊かになり過ぎて、どれが正しいのかさえもわからない。最も大切な家庭教育を重視し、こどもの基本的生活習慣に、その国民運動「早寝早起き朝ごはん」を提唱して行きます。これは倫理運動において得意な分野でもあり、地域に広めたい。そんな説明が、久保総括官の育って来た頃の話をユーモアを交えながら話されました。

f0032780_14374468.jpg第二部は丸山敏秋理事長による「家庭に始まる心の教育」。森信三先生が「教育とは、流れる水に字を書くようなもの・・」と言われそれほど難しいものである。心の教育といわれて久しいが、心は見えないからわからない。物が豊かであれば心も豊かになる思われた科学的合理主義は、「心」を置き去りにして来てしまった。社会環境の変化で核家族化が進みが家族の中に核となるものがなくなってしまい、絆が薄らいでいる。

f0032780_14392957.jpgプロジェクターを使っての解説では、親がこどもを私物化して、それが当たり前だと思って行く事が多い、親の思い通りにしようとか、曲がった溺愛がこどもの成長を妨げになっている。子が親のこころを反映することが、永年の研究で解って来ている。子は親の心の間違いを教え、身代わりになっている。
感性をはぐくみ、見えないたましいの教育を家庭で。難しいことではない。両親が愛に満ちあふれ、敬に徹し、親祖先を大切にする情緒ある暖かい豊かな家庭。「愛」を言い換えるなら「解ってあげる」事である。

f0032780_14451350.jpgそんな事も【著書『家庭をよくする』¥500】にも解りやすく書いてあります。
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「私の家族」という高橋君と北川さんの作文発表もはさみ、家族・家庭内の暖かさの必要性を伝えていただきました。また、日本語という素晴らしい言語の国語力を高めようと、家庭での短歌を詠みましょう。短歌の5・7・5・7・7はたましいのリズムです。こども短歌コンクールの作品を発表していただきました。

f0032780_1450367.jpg「生命」のいのちは、生きるためのいのちであり、
平仮名で書く「いのち」は先祖から自分の中に生きつづけ、継承して行くたましいのいのちである。これらを大切にし家庭をよくしていくには、まず「ハイ!」と何事も受けて行く事である。夫婦愛和はこどもの安心の基盤になるのです。
最後まで皆さん熱心に聴いていただけました。
f0032780_1456283.jpg講演、終了後は会場を都ホテルにうつし懇親会パーティーを開催。久保総括官と丸山理事長は招待者など教育現場の関係者と久しく名刺交換をされました。久保総括官はこのように多くの方に現在の教育に関心を持って聴いていただけて、心強く嬉しく思われたそうです。

多くの皆様の協力により、おかげ様ですべて盛況裡に運びありがとうございました。
高島会長はこれからも地域をよくしていくために貢献して行ける「家庭倫理の会岐阜市」にしていくと誓う。
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by krinrig | 2006-03-11 15:01 | 地球倫理フォーラム